街を歩いていて
店を回っていて
「あれ、いい感じだな〜」と思う。
今、目の前にあるいい感じなものを残したくて写真を撮る。
でもしばらくすると、写真の存在を忘れる。
絵を描く。
何かを長く見る。
ゆっくり描く。
自分の手で描いた絵には、自らの感性を保存する力がある。
——— 「絵を描くのが好きになれる本」イ・ギジュ
本当は描きたい。
描けるもんなら描き留めたい。
なのにうまくいかない。
ただ、目で見えているものをそのまま描けばいいだけなのに。
絵が上手な人は、なぜ上手なのか?
親も上手いのか?
絵を描く環境で育ったのか?
「天才」となるための決まった遺伝子はない。
よい環境があれば普通は「欠陥」とみなされてしまう認知の特徴を生かしていける。
人にはできない能力を発揮する可能性が誰にでもあるのだ。——— 「学びとは何か-〈探究人〉になるために 」今井 むつみ
絵が上手い人は常に何かしらを描いている。
初めて描いてみた時から普通の人より上手だったのだろうか?
あることを長い間つづけていくと、そのことに習熟し、熟達する。
熟達は誰にでも起こる。学習することは熟達に向かう過程だ。
熟達者は何かをするのに素早く、的確な判断や行動をすることができる。
最初はおぼつかなかったことが、意識的に注意を向けなくてもスムーズに素早く正確にできたら、それは立派な熟達の形だ。
そしてこの先に、ほかの人には真似ができない達人のレベルの熟達(天才)がある。
達人になってもさらに学び続け、その過程で誰にも真似できない独自のスタイルを創り出す。——— 「学びとは何か-〈探究人〉になるために 」今井 むつみ
継続して取り組める粘り強さがあればいずれプロのような絵を描くことができてしまうのか?
学び続けるとは具体的にどういうことなのか?
達人に共通しているのは向上への意欲だけではない。
自分の状態を的確に分析し、それに従って自分の問題点を見つけ、その克服のためによりよい練習方法を独自で考える能力と自己管理能力が非常にすぐれているのである。——— 「学びとは何か-〈探究人〉になるために 」今井 むつみ
ここから分かることは、上手に絵を描けないのは才能の有無とは関係ないということだ。
まずは、熟達を目指して習熟させていきたい。
自分の描いた絵を見て自分が満足できればいい。
続けるために今まで続かなかった理由を振り返ってみる。
色を塗ろうとするともっとある。
不満は尽きない。
見ようとすると目のピントは見ようするモノへ合わされる。
今までボヤケて見えていたモノがくっきりと見えるようになる。
それを描くと、絵の全体が崩れる。
ボヤケて見えていたモノをボヤケたまま観察することができなくて手が止まったことがある。
モノは見つめれば見つめるほど、姿を変えてゆく。少しも安定しない。
眼から入ってくる情報を整理するために、イメージが必要になる。
模写は見たものをどう描けばいいかを学べる。______「見ることから考える絵画表現ーリアリズムの誕生と終焉」山廣茂夫
見えたまま描けばいいのに描けない原因は、描き方を習得していないからだということが分かる。
模写をすればいいのかと思って試してみたが、続かなかった。
集中力が続かないというより、描いてるその瞬間を楽しめなかった。
楽しめなかったから、描き終えた時「もう二度と描くもんか(●`ε´●)」という気持ちになる。

時間をかけて描いたわりに、出来のいいものではないという現実。
絵を描くと言ってもいろんな描き方がある。
鉛筆、クレヨン、絵の具(水彩・アクリル・油)、ペン(油性・水性)、墨、コンテ、、、、。
様々ある画材のうち、どれか1つでいい。自分に合った画材はないものだろうか?と考えるようになった。

書道で使う太い筆。
これを手に取りなんとなくカニの写真をスケッチしてみた。
これは純粋に楽しめた。
下書きはもちろんない。
筆先状態と墨汁の量との偶然性だけで描いた。
筆はよく毛が抜ける。
筆先に数本の抜け毛が顔を出した状態を使って細い線を描いてみた。
筆に含ませる墨汁は筆を走らせると共に減っていく。
かすれた状態を使って質感を出したり薄い影やグラデーションを表してみた。
色には、固形水彩を使った。
水彩絵の具はボヤケさせながら色の水溶液を重ねていき、色はとても薄いのが特徴…のはずだった。
でも、半紙は違った。
水彩絵の具の色はとても鮮やかで少し発光がかったような色になった。
墨の線の上に水彩絵の具の筆を重ねると少し墨が溶け出す。
影を偶然表すことができた。
1度で終わった。
何度も同じ線を往復したり、描き直したりすることはせずに終わった。
この体験をChatGPTに分析してもらい、他にも性格に合う画材はないか考えることにした。
楽しいと思えるということは、その人の捉え方の特徴に合った画材だと言えるのではないか?
眼から取り入れた情報を脳で組み立てるということは、その脳の特徴が影響する気がしてきた。
眼は写真と違って一瞬で全体を捉えられない。
眼を小刻みに動かして情報を集める。
眼の視力範囲は小さい。
全体像は脳で組み立てる。______「見ることから考える絵画表現ーリアリズムの誕生と終焉」山廣茂夫
私は元々、構造で物事を捉える傾向がある。
そのことに気づいたのは手帳だった。
手帳はいいものを1冊用意してそれを使うことに憧れがある。
でも、できなかった。
使っているうちに使いにくさを感じ、分冊させて使うようになった。
2冊に留まらず、8冊以上ある。
それぞれの手帳の傾向を分けてみたら以下のようになった。
混ざると苦しくなり、整理されると楽になる不思議な現象だった。
ChatGPTには「あなたは構造思考です」と言われた 🤔
多くの人は絵を感性とかセンスとか、曖昧なものだと思う。
でも実際には違う。とChatGPTは言う。
という設計の問題が大きい。
今回スケッチの体験で自然にやっていたことは以下。
骨組みから先に決め、構造の中心になる甲羅の腹の部分を先に固定した。
そして陰影を後回しにし、水彩で雰囲気を加えて仕上げた。
これは感覚というより、ほぼ構造設計なんだとChatGPTは言うのだ。
私の思考は後者。
運動と余白の呼吸で対象を掴むタイプだった。
整える画材より、揺らぐ画材に適性があるようだ。
続けることを目標にしたとき、色を付けることまで求めると途中で挫折する気がする。
まずは線や陰影の練習を優先してやりたい。
毛筆はすごく楽しいが、準備や片付けが手間だ。
もしかするとそれが原因で続けられなくなるかもしれない。
毛筆と同じ特徴の画材は他にないかを調べてみた。
これらの条件を満たす画材(上ほど相性いい)
https://www.youtube.com/watch?v=jH4MEwh3WP4
https://www.youtube.com/watch?v=wYYUIqpHW2I&t=2s
https://youtu.be/yat4B86wyRI?si=NqFCr4hnIGPMjfPg
準備や片付けの面も考慮すると、鉛筆系が良さそう。
たまに気が向いて墨を扱いたくなったら竹ペンで描く…くらいの感覚にしようかな。
昨日、コンテ鉛筆を買った。
すごく楽しみ。
この鉛筆と練り消しを持って出歩くだけでも心踊りそう。
過去に撮った写真を見返して、改めて「いいな〜」と思えたものを一部だけでもいいから描いてみるのはどうかな?
ショッピングしていて素敵なデザインのポスターを見つけた時、描いて残すとかもいいかも💡
描くためには写真を撮っておく必要がありそうだ。
家でゆっくり紅茶を飲みながらスケッチしてみようかな〜♫

バリューブックスのサイトがとても分かりやすいのでそこから引用する。