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SNSと私生活、感性麻痺してない?

👤horomi

今日は構成もなにも考えず、だらだら〜〜っと書きたい気分!!!!

なんかね、今年は多分節目なんだと思われる。3年間くらいにインターネットでわちゃわちゃやるようになって、自然とツイッターに投稿しまくるのが普通になったり、改造ネタがあったら解説記事を投稿したりしてきたんだけど、ふとね、思うんですよ。「そんなことする前にやることやってる?」って。。。

SNSのストレス

ツイッターがだんだん居心地悪くなってきたのは、広告が増えてきたことと、普通の人までも宣伝を意識した投稿が増えていったことによる刺激の強さ。広告って、たま〜に目に入るから気になるわけであって、TLに流れてくるのがほとんど広告っぽくなるともうパチンコ屋が立ち並ぶ繁華街のような気分になってしまう。刺激が刺激をよんで、余計過激化してトゲトゲ、カクカクした原色のような言葉が並ぶのが耐えられなくなってしまった。。。。。だから、Xになってから、たま〜にブラウザから開く程度。

他のSNSはというと、、、

Instagramはスライド系解説アカウントは確かに生気を吸い取られるんだけど、写真で訴えてくるような投稿を見るのはすごく好き。写真からいろんなことを想像できるし、余韻に浸れる。写真の下に添えられているコメントと写真とがリンクしていると余計に感慨深くなって心地よい。ふわっと問いかけるような投稿が好きなんだと思われる。考える余白を与えてくれる。

Threadsは、素朴。素朴だから何度見ても飽きない。「教えます」「販売してます」みたいな宣伝より、「やってみた」「楽しい」といった日常のちょっとした嬉しい瞬間を投稿している人が多くて、ついつい見ちゃう。だらだらTLを眺めてても疲れないのはきっと刺激がないからなのかもしれない。手帳とか手芸とか始めたばかりの人の投稿にリアクションをするのが好き。誰だか分からないけど、とりあえずいいねしちゃうw

BlueSkyは、全然使ってない。いや、どう使おうかとずっと悩んではいるんだけどとりあえずmemosに転送しておきたいメモを投稿しておく中継地としてしか役目を果たしていない状態。元々他でやりとりしてきた人の投稿をのぞくくらいで、新たに何かメリットを感じて使えてるか?は疑問。

noteのプレッシャー

いや、これは勝手にそう思ってるだけなんだけど、記事書くと、どこから見つけてくれたのか、リアクションが来るんですよ。うれしいんだけど、そのうちプレッシャーになってきて、好きに書けなくなってしまった。。。。これは一種の中毒のような症状なのかもしれないけど、一度リアクション数がいいと、次はもっと上を狙って記事を書きたくなってしまって、でもそんなうまく再現できるはずもなく、やる気なくなる。。。。みたいな悪循環。うれしいんだけどね。うれしいとプレッシャーって表裏一体だなってことを学んだ。

あと、ちょっと尖った記事を書くと、議論したがりな人からのコメントが来るんですよ。。。それ読むのもめんどくって。。。。そもそも議論したくて書いたわけじゃなくって「こういう感覚もあるよ」っていうのを表現したかっただけなんだよね。行間を読んでほしいな〜って思う。AIネタは過激な人いるから、触れないのが無難。

noteのSEOはいいっぽい。mosyaの記事を数件かいたらGoogle検索で本家の次くらいに来てた。それは嬉しいんだけど、ちゃんとした内容じゃないんだよね。。。手帳をメインにmosyaをふわっと触れただけの記事だったから、どうせならちゃんと書いたherohoroブログの記事が入っていてほしかった。。。。noteでちゃんとした記事を今後書くか?と言われると、、、多分書かない。やっぱ熱の入った記事は自分のブログで書きたいもん。いやーそもそもそういう発想がもうダメなのかな。。。。mosyaを勧めたいならnoteにちゃんとした記事を書いて、人の目に触れやすくしておくのが大人の対応なんだろうな。。。。現実ってそんなもんだよね。

インターネットに放つ必要ある?

SNSやブログサービスってなんなの?って思う時がある。

別に投稿しなくてもいいじゃん。
だって、ただの素人だもん。
有名人の投稿は読んでて確かに楽しいけど、
素人の投稿なんて誰が読むのさ???

共通点があって仲良くなれたとしても、
そこから何が生まれるわけでもなく、
ただ、お互いを覗き合ってリアクションすることを楽しむ遊びなんだよね。これって。

半年前に手帳を使うようになってから余計思う。
「これ、手帳に書けば良くない?」

書く目的ってなんだろう?って考えた時…

  1. 思考を整理するために書く
  2. 誰かに読んで欲しくて書く
  3. 誰かに伝えたくて書く
  4. 読んでくれた人の感想を知りたくて書く
  5. 読者のファンが欲しくて書く

私は、1~3で、ブログを使い分けてる。このブログは1。
以前のツイッターも比較的1が強かったけど、3も含んでた。
noteで感じたびっくりする議論読者は4の欲求に応えてくれてるんだと思う。

今までブログって1が強かった。ベースは1。どうせ書いて整理するんだから、公開することで誰かの役に立てたらいいかな…くらいの発想でやってた。

でも、リアクションがあると励みになるけど寂しくもなる。一層のこと無い方が自由に書ける。

思考の整理が目的なら、別に公開しなくたっていいはず。

手帳に書けば済む内容もあるし、Obsidianに記録しておけばいい内容だってある。最近Notionをなるべく使わなくするようにしてるのは、ちょっと料金プランを上げられそうな嫌な予感がしてならないから、せっせとデータを取り出してiCloud管理のObsidianに移してる。ブログは変わらずNotionから書いている。。。

話は戻って、なぜ公開するのか?というと、自分だけの記録と第三者を意識した記録とでは書き方が異なるから。ローカルで第三者を意識した記録をすればいいのかもしれないけど、そこまでモチベーションはない。だから、ブログで公開して第三者が読める状態に記録を装飾してる。

記録をつけるようになって気づいたのが、3種類の立ち位置があるってこと。

  1. 文献寄りからの記録
  2. 自分寄りからの記録
  3. 読者寄りからの記録

本を読んで、読んだ内容を整理するために書き出すのは1。

書き出してる最中に同じ本の内容から関連付けをするのも1。

自分の関心のあることをやってる最中に読んだ本の内容とリンク付けられた時は2。

独りよがりに考え事をした時も2。

1~2を繰り返していくとそのうち記事を書きたくなる。多分何かを産出したい衝動が働くのかもしれない。

自分以外の誰かが読んでも内容がわかるように配慮して書くのは3。

同じ記録でも思考の立ち位置によって違う。2で満足できないからブログを書きたくなるんだと思う。逆を言えば、SNSやnoteはもしかしたらいらないのかもしれない。

ただ、情報収集には最適だし、それによって読みたい本と出会えたり、考え深めたいことが増えたりするのはありがたい。おそらく、投稿より読み手なんだろうな。。。と。自分を疲れさせない付き合い方はROM専なんだろうね。。。。

私生活が….

インターネットに夢中になった代償として、私生活がやばいことになっていたことにようやく気づきました。意識が….関心が…..私生活に向かなくなってしまった。。。これは大変だ。。。。ということで、SNSをなるべく開かないようにして、私生活に意識がいくように、掃除をやたらするようにしてます。(只今実行中…)

朝と夜掃除機をかけて、寝る前はキッチンのシンクを磨いたり、朝は洗濯と排水掃除をするようにしてて、3日目くらいから結構いい感じになってきました。意識がリアルに向くようになってきた。。。埃が気になるようになってきたから以前の感覚が戻ってきた気がする。

今まで何がしたかったんだろう?

私生活をおざなりにしてとりくむべきことって、多分無い。

インターネットの怖さって、無意識に感覚が麻痺していくことだと思う。なんか怖い。

人生プランも考えながら、私生活を中心に据えて片手間でできる範囲のインターネット活動ができればいいし、それによって大きな野望を抱いているわけでもないんだから、もっと気軽にセーブしていかなきゃなと反省。去年から少しずつ感じてはいたストレス。多分体の異変を教えてくれてたんだろうなと思う。

今後もブログは続けていきたいし、ただただ書きたい気分になったらこうやって投稿もしたい。投稿できる場所があるってやっぱいいよね☺️