本来、論理的には:
この2つは別の意味なのに、
人はつい「AならばB」が成立していると、「BならばA」も成立すると思い込んでしまう。
これが 対称性バイアス(symmetry bias)
たとえば:
「読むことができるなら、書くこともできるはず」→ でも実際は、読めるけど書けないことが多い。
これは「読める=書ける」という双方向の成立を当然と考えてしまうバイアス=対称性バイアス
実際のところ、日本語の漢字は「認識(読む)」と「再生(書く)」の処理が全く別
英語などのアルファベット言語に慣れていると、綴りと発音がほぼ一致しているため、「読めるなら書ける」は自然に思ってしまうもの。
ここでは以下のように固定して考えてみる
→ この2つは独立していて、対称ではない。
→ これが対称性バイアスの典型的な例
これは必ずしも正しくありません。
→ マニュアル通りに話しているだけかもしれないし、心の中では敬っていないかもしれません。
これも成り立ちません。
→ 本心では尊敬していても、日本語がまだ不自由で敬語をうまく使えない場合もあります。
どちらの方向も必ずそうだとは言えない。
A ⇄ B の対称関係にはない
ということになります。
それにもかかわらず、人は「AならばBが成り立つから、BならばAも当然だ」と思い込んでしまう。
これが 対称性バイアス
📌 これは 「AとBが同じ意味」 ということではなく、
「Aが成り立つときは必ずBが成り立つ」⇔「Bが成り立たないならAも成り立たない」
という因果関係や包含関係がある、ということ。
「AならばB」と「BならばA」が両方とも成り立つときだけです。
この場合:
つまり、「A ⇔ B」でもないし、「A → B」すら常に成り立たない。
そのため、対偶の話以前に、前提となる命題自体が常に正しいとは言えない。
「AならばB」と「BでないならばAでない」は同値ですが、それは AとBが同じ意味ということではなく、A→Bという命題が成立することとその対偶が同じ真偽を持つという論理的な関係です。
(例:敬語を使っている人は、相手を敬っている)
→ これが 対称性バイアス
「AならばB」 が真でも、「BならばA」 は真とは限らない
「BならばA」も 自動的にセットで成り立つ気がしてしまう。
→ これは 必要条件・十分条件の混同というよりも、
「因果や論理の関係に対する直感的な過信」に近い。
B:相手を敬っている
→ AならばB が成り立つように見えるだけで、実際は
A → B が常に正しいとは限らない(=そもそも命題自体が不安定)
なのに B → A をも信じてしまう(=対称性バイアス)
つまり、
「AならばB」は必要条件だったのに十分条件だと誤解した
というよりも、
「AならばB」が条件付きでしか成立しないかもしれないのに、常に成立する普遍的な真理のように信じてしまい、逆も当然成立すると思い込む
というのが対称性バイアスの正体
→ これがあれば確実にそうなる。
→ Aがあれば、必ずBになる。
👉「AならばB」が成り立つための強い条件
→ これがなければそうならない。
→ Bが起こるためには、絶対にAが必要。
👉「BならばA」が成り立つときの条件