学生(特に中学生)の頃によく抱く疑問
「勉強して将来何の役に立つんだろう?」
あの頃は「今頑張っておけば大人になった時、報われるはずだ」と信じていた。
大人になった今、本当に報われているのかを問いたい。
いい高校に入れる
いい大学に入れる
いい会社に入れる
そうすればお金に困ることはないはずだ。
そんな単純なゲームなのだろうか?
大企業に入っても過労のあまり転職する人もいる。
将来安泰と言われる公務員になったってそうだ。
教員なんて残業代がでない。
勉強を頑張って入ったのに
より苦しい職場に吸い寄せられてしまう。
そんなはずはなかったのに。
一体何のために勉強を頑張ったんだろう…?
自分が進みたい道は何だろう?
みんなと同じ選択をして違和感がなければいい。
でも、違和感の岩に押しつぶされそうになることがある。
そんなとき、どうする?
「当たり前」なことで違和感があったら
無かったことにしないで「なぜ?」と問う。
世の中にケチをつけるわけではないが、
歪みに気づける。
こんなの変だよ。絶対…って。
その歪みを爽快に批評してくれる本も存在する。
疑問を抱いた状態で本を読むと
文章1つ1つが刺激的で
激しく共感できる。
「そう、そう、それ!同じこと思ってた」
代弁してくれればしてくれるほど、
違和感が縮んでいく。
ただ、その「当たり前」を当たり前にこなしている人と話す時は要注意。
自分が考えたり本によって学べたことを話したくなるが、
それは相手を不安にさせてしまう。
控えよう。
本を探す時、まずドンピシャの内容はない。
部分的に重なってはいるが、8割くらいは知らない内容。
知らないから、新たな知識もついでに増える。
1つの疑問から派生した疑問が何個も生まれてしまう。
自然と分野が多岐にわたっていく。
どんどん知りたいことが増えてきて
本を読むことが目的になり、
中毒になっていく。
とっくにはじめの疑問は解決しているのに
知的好奇心が止まらなくなる。
文学・歴史・科学・経済学・語学・心理学・哲学…。
そろそろ落ち着こう。
本の沼から足を洗い、
違和感を抱いた「当たり前」に視点を戻す。
ほとんどの人が「当たり前」レールに乗って
幸せに過ごしている。
でもそれは、全員に当てはまるわけではない。
稀に違和感を抱いてレールから外れる人だっている。
その人は孤高だ。孤独ではない。
周りに仲間がいなくても
自分の違和感を大切にし、
話したことのない人が書いた本と対話をしながら
息苦しくなってしまった視界に酸素を入れる。
世界は思っている以上に広い。
広いということを知れるのが勉強の意味なのではないか?
勉強で頑張ってきたことは
大人になって役に立つ。
自分にぴったりな【正解】を掲げる勇気が持てるから。